
福生駅から奥多摩街道を玉川上水に沿って進むと、威風堂々たる漆喰の白壁の奥に、八角形の煙突のある重厚な土蔵が見えてきます。
酒蔵や水車小屋、石垣などが国の登録有形文化財に指定されている田村酒造場です。
敷地内には、手入れの行き届いた広大な屋敷や庭、その中にめぐらされた田村分水があり、一歩足を踏み入れると、凛とした空気に包まれます。
銘酒 喜泉

田村家は福生村一帯の名主であり、江戸幕府から名主総代を命じられるほどの名門でした。
現在十六代目当主が営む田村酒造場は、九代目の当主が文政5年(1822年)に酒造りを始めました。
創業当初、酒造りのために敷地内のいたるところで井戸を掘りましたが、なかなか良い水が見つからなかったといいます。
そんなとき、大木のそばには良い水が流れていると聞き、樹齢600年から800年といわれる大欅の近くに井戸を掘ったところ、水脈を発見。
これが稀に見る中硬水で、この水の発見を喜んだ初代は「良き泉!喜ぶべき泉!」と感涙し、酒名を「嘉泉(かせん)」と命名したのです。
創業後、嘉泉によって着々と成長した田村家は、明治中期までに武州一帯(多摩地区、神奈川県、埼玉県の一部)の酒蔵を指導する役割も担っていました。
丁寧に造って丁寧に売る

初代からの家訓は「丁寧に造って丁寧に売る」
田村酒造では、量を追わず、手間暇を厭わず丁寧に酒を造り、目が行き届く範囲で丁寧に販売することを守っています。
田村酒造場の酒は、鑑評会でも認められ長く連続受賞しています。
令和6年東京国税局酒類鑑評会では、「大吟醸 對鴎(たいおう)」が優等賞を首席で受賞しました。
家訓は代々受け継がれ、先代の15代目当主は、甘く低品質の酒が出回っていた1973(昭和48)年、60パーセントまで削った高精白の米を使い、通常は一級酒の本醸造を二級酒として販売しました。
それが今も高い評価を得る「特別本醸造まぼろしの酒 嘉泉」です。

現在も丁寧に造るための様々な取り組みが行われています。
例えば、吟醸酒などの特定名称酒は、搾ってからマイナス5℃の冷蔵庫で保存します。この際に用いるのは、空気に触れる表面積が少なくなるよう設計された特注のタンクです。
その結果、酒は穏やかに熟成して、秋口にはふくよかな味に変化するのだとか。
日本酒が海外でも楽しまれるようになった今、海外で丁寧に売ることを守るのは容易なことではありません。可能な限り現地を訪問して品質管理や陳列方法などを共有し、お客様によい状態の酒を届ける工夫をしています。
田村酒造場では、より多くの方に日本酒に親しんでいただくために、新たな計画を進めているといいます。
田村酒造場らしい酒や新しい取り組みを心待ちにすることにしましょう。