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奥多摩わさび物語

明確な四季と多様で豊かな自然に恵まれた日本では、長い歴史のなかで培われた文化が息づき、旬の食材を使った伝統料理とおもてなしの心が大切に受け継がれています。
日本の伝統的な食文化である和食に欠かせないわさび。
わさびは、数少ない日本原産の植物です。

東京都の最西部に位置する奥多摩町は、町の全域が秩父多摩甲斐国立公園に含まれており、雲取山(2018m)をはじめ、 2,000m近い山々と切り立った渓流が特徴的な自然豊かな地域です。

奥多摩町では、伝統的なわさび栽培が行われています。
日本の美食の秘密「わさび」の魅力的な世界を発見しましょう。

わさびの歴史

日本の固有種であるわさびには、古い歴史があります。
わさびの最も古い記録は、飛鳥時代にさかのぼります。
飛鳥時代(592~710年)には、仏教が伝来し、飛鳥寺や法隆寺が建立されました。この時代のわさびは、薬草という位置づけであったと考えられています。

わさびの栽培は、慶長年間(1596年~1615年)に駿河国有東木(現在の静岡市葵区)で始まったとされています。
江戸幕府の初代将軍徳川家康は、わずか2年で将軍職を息子秀忠に譲り、1707年に駿府城(現在の静岡市葵区)に移り住みました。
駿府城に入城した徳川家康にわさびを献上したところ、天下の逸品と褒めたたえ、有東木からの門外不出の御法度品にしたといわれています。

江戸時代には、江戸四大名物食とよばれる「蕎麦切り」、「天ぷら」、「鰻」、「握り寿司」が誕生しました。
握り寿司は、文政年間(1818~1830年)に考案され、たちまち一斉を風靡し、わさびと握り寿司の組み合わせが定着しました。

2013年に「和食:日本人の伝統的食文化」が、ユネスコの無形文化遺産に登録されました。その後の10年間で海外の日本料理レストランは約5.5万店から18.7万店へと3倍以上に増え、世界中で日本食の人気が高まっています。
和食に欠かせないわさびは、世界でもその味が認められ多くの人に愛されています。

奥多摩わさびの歴史

奥多摩のわさび栽培の歴史は古く、江戸後期に書かれた書物には、良質なわさびが奥多摩の特産品として、幕府にも献上されたことが記されています。

わさびの栽培は、多摩川に流れ込む幾多の支流と、さらに山深い無数の沢を利用して行われています。明治末期から大正時代には盛んに栽培された記録が残されています。
戦後には、栽培技術の改良と改善に取り組み、奥多摩地方の気象や水量等に適した「奥多摩式」わさび田が確立されました。

昭和半ばまでの山林は、原生林に近く、わさびの育成に適した自然環境が整っていました。その後の材木の伐採などに伴い、栽培環境が変化し、10年を周期として大洪水に襲われるようになり、わさび田の流出や荒廃が多くなりました。(*)

2019年の台風19号による被害は甚大で、激甚災害に指定され、被害総額は約23億6千万円と発表されました。

奥多摩のわさびは、2023年には168㎏しか卸売市場で取引されていません。現地に行かなければ味わえない貴重な味です。

(*)出典『奥多摩わさび栽培法』平成2年10月発行より

わさびの特徴

わさびは日本原産のアブラナ科の植物です。
古くから国内各地の水のきれいな深山の渓谷、渓流に自生していました。春には4弁の白花を咲かせます。

わさびは食材の持ち味を引き立て、料理の味に深みを与えます。
日本の陶芸、美食家としても有名な北大路魯山人は、わさびに関して次のような言葉を残しています。
「わさびは最も調子の高い味の素と心得てよい。」
「わさびの味が分っては身代(しんだい)は持てぬ」

わさびの辛味成分は、すりおろすことで細胞が破壊され、加水分解反応という酵素反応が起こることによって生成されます。
わさびの辛み成分は揮発性です。そのため、すりおろしてから約3~5分間が最も辛い時間帯といわれています。

江戸時代に刊行された『本朝食鑑』には、わさびは「魚肉蕎麦の毒を解す」と書かれています。
わさびには解毒作用だけでなく、多くの機能性があります。
近年の研究では、抗酸化作用、解毒作用、発がん抑制作用、抗炎症作用、育毛作用、認知機能改善作用、花粉症症状減少作用などがあることが報告されています。

奥多摩のワサビ田

面積の94%を森林が占める奥多摩町は、傾斜地や沢が多く、古くからその地形を利用してわさびが栽培されていました。
辛みが強く豊かな風味が特徴といわれる奥多摩のわさびを育んでいるのは、豊かな自然と清らかな水です。
わさび田は傾斜地に石を組んで作る「奥多摩式」と呼ばれる構造で、手作業で作られています。

日本の固有種であるわさびは、日本各地の渓流、渓谷に自生していました。現在では、わさびの自生地はごく限られた地域にしか残されていません。

奥多摩のわさび田の景観は、わさびの自生地を彷彿させる美しさです。

御岳山から湧き出す清水で育つわさび

新島さんが大切に守るわさび田は、新島さんの祖父が手掛け、明治38年生まれの父が整備しました。

わさび田は、御岳山(みたけさん)の清水が湧き出す素晴らしい環境にあり、奥多摩を襲った数多くの災害にも耐え、美しい景観を保っています。
新島さんは、父親の手伝いをしながらわさびの栽培方法を覚え、わさび田を受け継ぎました。

わさびの品評会で受賞経験もある新島さんは、今、次の世代にその伝統と技術を伝える取り組みを行っています。

谷の上と下300メートルにわたるわさび田

この素晴らしい景観のなかで、わさびを栽培しているのは、93歳の清水さんです。
わさび漬けの会社に勤務しながら、わさび好きが高じて、仕事の合間に植林を行ったり、わさびを栽培したりしていました。
そして、わさび沢を譲り受け、60歳からわさび栽培専業となりました。

深い山中にある渓流でのわさび栽培は苦労の連続です。
天と地の恵みに、人々の知恵と丁寧な手仕事が加わり奥多摩のわさびが栽培されています。