
奥多摩は、縄文時代から人々が暮らしを営んできた歴史ある土地です。
古代から狩猟採集を中心とした生活が続き、江戸時代には焼畑耕作や萱場の開発が盛んに行われました。
江戸市中の拡大に伴う木材需要の増大により、この地域は重要な木材供給地となり、いかだ乗りたちが材木を積んで多摩川を下る風景は、当時の名物でもありました。
現在でも奥多摩では、地域に根ざした伝統芸能が大切に継承されています。
中でも無形民俗文化財に指定されている鹿島踊は、この地の文化的な豊かさを物語る貴重な遺産です。
また、奥多摩から青梅にかけての美しい自然景観は、古くから多くの文豪や画家たちに愛され、創作の源泉となってきました。
現在も青梅市には吉川英治記念館や玉堂美術館などの文化施設があり、この地域の文化的な魅力を現代に伝えています。
多摩地域には、伝統的な刀鍛冶の技術を受け継ぐ職人が今も活動しており、自社製鉄した鋼を用いて日本刀から日用の包丁、ナイフまで幅広い刃物を制作しています。
日本刀
日本刀は、日本固有の方法で作られた刀剣類の総称です。
日本刀や刀鍛冶から生まれた言葉には、「相槌を打つ」「太刀打ちできない」「切羽詰まる」「そりが合わない」「とんちんかん」など数多くあり、日本人の生活と文化に深くかかわってきたことが分かります。
古くから日本では、刀は神聖なものとして、神事や祭礼、伝統芸能などで用いられてきました。
「三種の神器」と呼ばれる歴代の天皇に伝わる宝物にも剣が含まれています。
平安中期から安土桃山時代末期までに作られた日本刀は、「古刀」と呼ばれます。
この時期には、作刀の技法が確立され、技術が発展しました。国宝や重要文化財に指定されている名刀の多くが、この古刀期に作刀された日本刀です。
平田鍛刀場の平田祐平(ひらた すけひら)刀工は、「あまり知られていないのですが、本来、刀は命を守るための道具なんです。日本刀は、自分や大切な人を守護することを目的に設計されているんです。
このことを日本の若い人たちに知ってほしいですね。そして、日本の技術や日本文化の良さを再認識して、日本のことをもっと好きになってほしい。海外の人にも日本刀を通じて、日本を好きになってほしい。」と言います。
自分や大切な人を守るためには、手にする人にとって絶大な安心感を与えてくれるものでなければなりません。実際に刃物としての切れ味はもちろんのこと、一瞥しただけで、その切れ味を想像できるほど完成度が高くなくては、「守る」役目を託すことはできないのです。
明治時代には廃刀令が制定され、多くの刀鍛冶はそれまでに培ってきた作刀技術を活かし、包丁などの「打刃物(うちはもの)」の製造を始めました。日本刀に求められていた切れ味と耐久性を生み出す工程は、日本が世界に誇る高品質な包丁を作る技術へと継承されました。
現代の刀鍛冶は、国家資格を得て作刀して言います。その資格は非常に狭き門であり、170名ほどといわれています。刀鍛冶は、特別な技能者なのです。